2009年 01月 22日
大きな違い |
はぁ~い♪
言葉(ことのは)の持つ力は大きい。
ただ音として発せられるだけではダメなのだ。
オバマ氏の就任演説を聞いて思ったこと。
日本の多くの政治家のそれとは決定的に違う。
それは『目線』
原稿の棒読み、あるいはチラ見。
用意された文言を目でなぞりながらただ読むだけの会見や所信表明、
あるいは繰り返される謝罪。
こうして繰り出される言葉に、力や魂を感じるのは無理というもの。
そんなものを見、聞かされたところで、人心に響くはずがないのに
悲しいかな、ニッポンと言う国は、こういうトップが溢れかえってるおかしな国。
もちろん、オバマ氏にだって優秀なSpeach Writerがついているだろうし、
演説台の手元には原稿が用意されていたのかもしれません。
(いやひょっとしたら、シークレットスクリーンがあったかもしれないけどね。)
でも、彼は、集まった200万の人たち、テレビの向こうにいる人たち・世界中で
耳を傾ける人たちに向かい、顔を上げ終始手元を見ることもな演説を行ってました。
たとえそれが他人に書かれたモノであっても、彼の言葉として、彼の思いとして発せられ
ていたと私は感じました。
この違いは大きいと思います。
一国の長となるもの、まして世界の国々にも深く影響を及ぼす大国の長。
求められる資質は数限りなくあるでしょうが、何よりも求められるのはまずカリスマ性。
原稿棒読みでは、カリスマ性もへったくれもあったもんじゃないよね。
ヒトラー然り、時として良くも悪くも人心を掴む演説は世界を動かしてきました。
だから私も期待したいのです。新しいアメリカに。
そして、わが国の舵をきる人たちにだって本当は期待したい。
つまらないことで(定額給付金のことね)いつまでもゴタゴタしてないで
やらなきゃいけないこと、さっさとやれ!
100年に一度の不景気が、100年に一度の結束の好機だと思って。
そうだろっ!! (←最後はややキレ気味)
by pinecone_la
| 2009-01-22 17:27
| ひとりごと